青幻舎マガジン

「三度目の京都」写真家 中岛光行

京都/拠点 : work & life in Kyoto
vol.23

いいと思うものを出すからには
批判も赏賛も一手に引き受ける
「三度目の京都」写真家 中岛光行

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 ちょっとお坚いイメージの前の职场から独立し、惯れぬ雑志の世界へ飞び込んだばかりのカメラマン?中岛光行と出会ったときのちぐはぐな印象を今でもよく覚えている。「なんかそわそわした大型犬やな」――そんなふうに思った。好奇心旺盛だが妙に慎重でもあり、周囲にアンテナを张り巡らせながら様子を窥っているような……。长身で、存在感もあって、人生の先辈でもある男の人。なのに、惊くほど构えない。分からないことは衒いなく讯く。他人からの指摘も素直に受け止める。知ったかぶりもしない。手探りながらも、「はじめて」を愉しめる人となりに好感と兴味を抱いた。あれから、12年。「三度目の京都」という兴味深いプロジェクト(★1)活动ぶりを拝见しながら、改めて向き合ってじっくりと话を闻いてみたいと思った。変わったことも、変わらないことも、ひっくるめて全部ひっくるめて、「いま」の中岛光行を知りたい、と。

text:山田凉子(椿屋)/photo: 松村シナ

写真家?中岛光行の根干は
「写真」を志すまでに培われたもの

 父亲は写真家。専门は寺や仏像、美术品。物心ついた顷から、家にはカメラや写真があった。それはあまりに当たり前の风景で、写真は憧れにもならず、まさか自分が父亲と同じ道を歩くことになるなんて考えたこともなかったという。写真よりも野球に梦中な、中岛光行はそんな少年だった。「部活の试合に来んでええって!と思ってましたね。家族旅行の记念撮影もこだわりすぎて长くてめっちゃ嫌やったなぁ。今见ても、どれも嫌な顔してるんですよ(苦笑)。あの顷は、夸りに思うこともなかったんです」。そう言って、昔を振り返る。

 そんな彼が初めて父亲の仕事を间近で见たのが、高校1年生の顷。诗仙堂をチャールズ皇太子とダイアナ妃が访れたときのことだった。その场のオフィシャルカメラマンが、父亲だった。学校をサボって见に行ったが、それでもなお、カメラマンという仕事をはたから见ていて格好いいと思えなかったと言う。「芸能人やモデルのかわいい女の子を撮ったりするのがカメラマンってイメージがあったからでしょうね。それに比べると、亲父の姿は华やかさとは程远かった」。

 だが、大学生になって思い返してみて、父亲の仕事の贵重さを実感するようになる。そう思い至るにはそれなりの経纬があった。入った大学は期待したほどではなく、それまで抱いていた人生设计に狂いを感じるようになり、「おもんない!」と休学。思いつきでオーストラリアへ渡り、一年间を过ごした。「バイトで贮めた20万円を握り缔めて行ったら、あっという间に金が尽きて……最初の一周间をパンと水だけで食いつなぎました。レストランの皿洗いで周払いの金を稼いで、とにかく生きることに必死でしたね。その後も、オーストラリアやアメリカに何度か渡るんですが、そのための旅费を日本で稼ぐ毎日。バイトしていた居酒屋には职人の常连客が多くて、日替わりで雇ってもらってたんです。电気屋、ペンキ屋、植木屋……地质调査なんてのもやりました。お店に来てるときはただの酔っ払いなのに、昼间は格好いいんですよ、これが(笑)。大学卒业を前に、手に职をつけたいと思ったのは、彼らと出会ったからこそ。とはいえ、じゃあ体験した仕事のうちで『これ!』と思えるものがあったかといえばなくて、ふと亲父のことが头を过ぎった。消去法で写真を选んだ感じですね。でも、心のどこかでなんとなく『続くかも?』という想いはありました。

写真家?中岛光行の跃进は
ラッキーでもミラクルでもない

 父亲の绍介で美术出版社の便利堂へ入社。写真部に身を置いてまず思ったことが、「こんなに使えへんのかオレ?!」だったという。「完全に舐めてましたね。(大学进学に続き)人生第二の挫折ですよ。周りの人がみんな自分より写真が上手い。それが许せなくて。负けたくないと思いましたね。今考えると若い(苦笑)。仕事に惯れて、余裕が出てきて周りを见ることも出来るようになると、任せてもらえる仕事量が増えました。出版社では、见えるものを见えるように撮るという写実的な撮影が主で、仓库みたいな场所で仏像や美术品と向き合う毎日。师弟関系も厳しかったですし、思い描いていた华やかさとは无縁の世界でしたね。言叶通り、修行のような日々でした。いつからか、それ以上でも以下でもない写真ではなく、自分の表现が许される分野へと兴味を抱くようになって、独立を决めました。図録を持って制作会社や出版社、広告代理店などあちこち売り込みに行きましたよ。でもまあ、情报志や広告の现场で使って欲しいと言いながら、持って行くのがお寺や仏像の写真ですからね。相手も困りますよね(笑)。断られまくって、やっともらった最初の仕事は、とり贝のブツ撮り1カット5000円でした」。

「三度目の京都」写真家 中岛光行

さまざまな京都本や京都特集で、社寺の推荐人を頼まれることも増えた。おすすめの场所がありすぎて、写真选定も一苦労。「どうしても思い入れのある诗仙堂がかぶってくるんですよね……」と苦笑いも。

 がむしゃらに仕事を请けて、独立3年目。またひとつの転机が访れる。アシスタントを雇うことになったのだ。「给料払えへんから无理って言うたけど、いろいろ考えて、月10万、(交通费を払えないから)事务所の近所に住んでもらって、一绪におるときの饭代は払う。そんなギリギリの条件でした。それを呑んでくれたからには、金を生める子にしようと思いましたね。気づけば8年も一绪にやってました。続いた秘诀は……彼女が我慢してたんちゃうかな?(笑)」。

 あえて足枷をつけることで、己を追い込む。次へと伝えて繋げていくことも役割のひとつ。そういう覚悟の上での契约だった。アシスタントがいるというだけで、雑志の取材现场では「储かってるんですね~」なんて话になるもの。実际に、彼がそう言われて「储かってませんよ~」と答えている场面に何度か遭遇したこともある。しかし、「お金なら何とかなる。背伸びしてでもやるべきことはある」という彼の信念を闻いたとき、将来を见据えた动きと静かな使命感のようなものに心打たれたのだ。成すべきことを知っている者は强い、そう感じた瞬间だった。

 写真家を父に持ったことは、确かに彼の幸运かもしれない。だが、彼を写真家たらしめているのは、彼の志とご縁を大事にする姿势なのだ。道を拓くその志こそ、いいと思ったものを撮ること。それを「どうですか、よかったら见てください」と差し出すこと。「これええやろ!」ではなく、「ぼくはこれをいいと思ってるんです」という谦虚さで。それは「三度目の京都」プロジェクトにも反映されている。だからこそ、极力情报は削ぎ落としているものの、「トップシーズン以外の时季もいいよということを伝えたい。そうでないとフェアじゃない気がする」とまで言う。「サイトや本を见て、お寺に行く人が一人でも増えたら、能を知りたいと思う人が一人でも増えたら、なおよし。でも、その一人を増やしたくてやってるわけではなくて、それがついて来たら御の字、おまけみたいなものだと思ってるんです。キラーコンテンツばかりじゃなく、意図しないところに魅力があると信じてるからこそ、视点の提案が京都の新しい见方になるんじゃないかって考えています」。

中岛光行好み

「三度目の京都」写真家 中岛光行

2015年は空模様がいまいちで……と、纳得いかない表情の中岛氏。それでも「诗仙堂の桜は美しい」と力説する。

「三度目の京都」写真家 中岛光行   「三度目の京都」写真家 中岛光行

「毎年见てた桜です」と懐かしむのは、実家の近所にある有名ロケ地として知られる银月アパートに咲き夸る枝垂れ桜。

 

スタンダードではないけれど、「圆光寺はこっちからのアングルがいい。この庭が好き」と、煌く新緑の一枚をセレクト。

「三度目の京都」写真家 中岛光行   「三度目の京都」写真家 中岛光行

緑の中を抜けると、青红叶が目の前に広がる阿弥陀寺の参道。ゆっくり歩くと30分くらいの山道は、少し神秘的でもある。

 

爱宕念仏寺にある1,200躰もの罗汉は、檀家や参拝者の手によって雕られたもの。「他にはない“ようこそ感”がすごい」と感服する

「三度目の京都」写真家 中岛光行   「三度目の京都」写真家 中岛光行

存在感のある蹲に椿の叶や红叶が意図せず沈む様子に心惹かれるのだとか。「そこ(蹲)に一番季节感がある気さえする」

 

映り込みの绮丽な源光庵の廊下に禅寺の伫まいを见る。「ここから见る景色がいい」と、思わずシャッターを切ったカット。

「三度目の京都」写真家 中岛光行   「三度目の京都」写真家 中岛光行

雪が降ったら(撮りに)行きたくなるのは、职业病というよりもはや性。前の晩に决め打ちで早起きするのだとか。

 

「ふだんはないものが、そこに驯染んでいる様が面白い」と、多くの人に気づかれない风景も见逃さない。それこそが感性か。

中岛光行语録

「(ニッチで)尖ってるからこそ、刺さり方が深い」

「(チームでやるからには)自分だけが表立って御舆を担いでもらうのは嫌なんです」

「好きか嫌いか、その主感が何より大事」

「(自己発信が)いかに怖くて面白いか。それが、アウトプットの醍醐味」

「押し付けがましさは排除して、受け手に全てを委ねたい」

「本の売り上げで(庭扫除の)箒を一本でも买って渡せたらいい。(お寺とは)そういう付き合い方がしたいなぁ」

「三度目の○○というのは、(比喩的に)ちょうどいい按配の数字」

「三度目の京都」から生まれた本たち

「三度目の京都」写真家 中岛光行 「三度目の京都」写真家 中岛光行 「三度目の京都」写真家 中岛光行

 记念すべき初出版となった「A PRIVATE KYOTO TRAVELOGUE」は、极々私的な目线によって魅せる个人的な旅行记ともいえる本。中岛氏が最も思い入れ深い诗仙堂を、いいと感じた构図で切り取った。既存のガイドブックの概念を揺るがす1册。

 続く「A PRIVATE KYOTO TRAVELOGUE(dance issue)」は、中岛氏の友人でもある能楽师?林宗一郎氏にフォーカスした写真集。「もっと若い人にも能を见てほしい」という林氏の言叶に触発されて、「京都はお寺だけじゃない。もっと(お寺以外のことも)知りたい」という気持ちから、中岛氏が覗いた能の世界が写し取られている。

 第3弾となる「本の中の、京都。」では、京都を拠点に活跃する20人の选者が语る“新しい京都に出会う20の话”と51册の京都本を绍介。ブックディレクター幅允孝氏监修のもと、恵文社一乗寺店の堀部笃史氏との対谈も収録され、本から京都を知る面白さを教えてくれる。

京都拠点、その理由とは?

 「京都に対しての想い? 大好きで大嫌いですね。确かに京都はホームタウン、どこよりもお世话になっているところ。でも、京都ブランドに胡坐をかいてる感じが嫌なのも正直な気持ちなんです。培ってきた文化は継承されるべきですが、谁もがいいって言うやろう…と见越してやるより、自分たちがいいって思えるものを出していきたい。京都にだって、なくなっていいものもあると思うんです。そうして淘汰されたものが受け継がれていく。あかんとこはあかんって言えばいいけど、それをあえて言叶にするのはいかがなものかと思っているので(苦笑)、いいものをいい!と出していきたいんでしょうね。京都をモチーフに主観で発信することで客観性が持てた気がしています。」

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★1 「三度目の京都」编集チーム(写真家:中岛光行、工芸ジャーナリスト:米原有二、写真家?映像作家:须藤和也、ほか)が、个々の感性で京都の魅力を発信しているプロジェクト。もっと京都を好きになってもらえるように、メンバーそれぞれの「三度目の京都」视点を持ち、新しい気づきや再発见を促すことが目的。http://www.sandome-kyoto.jp/


【告知】

三度目の京都「1678/TODAY」展开催!

会期:7月12日(日)~20日(月)
场所:BOOK AND SONS(http://bookandsons.com/)
   东京都目黒区鹰番2-13-3 キャトル鹰番
电话:03-6451-0845

现在広く使われている明朝体。日本での普及の起源とされているのは、宝蔵院(京都)に収蔵されている一切経の版木だ。一切経は、仏教思想はもとより、天文?人文?医术?薬学?人道など社会のあらゆる面を説いた仏教の百科辞典とも言われている。その一切経の版木から明朝体のように现在に残るカタチの语源を探していき、绍介する展覧会。

プロフィール:
text:山田 凉子(やまだ りょうこ)
様々な媒体での执笔はもちろん、テレビ番组のリサーチ、京都特集のコーディネートなども请け负う。惯れ亲しんだ京都の魅力を再発见するため、ライター&イラストレーター仲间で结成した「ことり会」としても活动中。また、映画好きが嵩じて、映画レビュー専门サイト「椿屋剧场」の支配人も务める。
「椿屋」http://tsubakiya.gozaru.jp/
「椿屋剧场」http://tsubakiyagekijo.com/
「ことり会」http://kotorikai.com/

PROFILE

「三度目の京都」写真家 中岛光行

「三度目の京都」写真家
中岛光行

1969年、京都市生まれ。 博物馆?美术馆の所蔵作品、寺社の宝物、建筑、风景などの撮影を手がける。京都の风景や寺院、职人の工房といった京都の中に存在する美しさを抽出する感性と技术力が特に高く评価されている。様々な分野のクリエーターと共に 「三度目の京都」プロジェクト(★1)を立ち上げ、有名寺院や観光名所だけではない京都の魅力をWEBサイトや出版などを通して発信している。尾道自由大学(http://onomichi-freedom-univ.com/)では、写真讲座「三度目のオノミチ」も担当。

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